「LED照明だけでいいのか?」
「経営労務ディレクター2016・3~4月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
夕闇の中、家の近所を歩いていて危うく自転車と衝突しそうになった。もちろん避けようとはしたのだが、自転車のライトがあまりにも眩しく、前から来る自転車そのものを見ることができなかった。自転車のランプは今ではLED照明が使われている。
地球温暖化対策による省エネのため、政府は2020年をめどに白熱灯と蛍光灯の製造及び輸入を禁止する方針を固めた。LEDへの置き換えを促進するらしい。この機に照明の光について考えたい。
次のような内容の報道を目にした。「国の道路で導入が進む発光ダイオード(LED)を使った信号機で、警察当局などが着雪対策に追われている。LEDは従来の電球型に比べて表面の温度が低いため、雪が付着して信号が見えなくなる事例が頻発し、試験導入を含め少なくとも全国で12の道県警が対策に着手している。思わぬ難敵にメーカー各社も知恵を絞るが決定打は見つからず、独自に開発を目指す県警も出てきている。」
また、野球場に取り付けたLED照明により影響が出たというニュースもある。「横浜DeNAベイスターズ所属の筒香選手もまぶしいと困惑しているコメントを出していますし、阪神の山脇外野守備走塁コーチ(2015年)は横浜スタジアムでナイトゲームがあるときは全員に薄いサングラスを持参するようにいっているようで、プレーをするにはLED照明の電気は眩しすぎるようです。日本を代表する球技である野球。エコとプレーのしやすさのバランスを今一度見直す必要があるかもしれないですね。」
上記のデメリットをもって、一概に今の時点でLED照明に問題があるとは言えない。工夫次第で解決できていく問題もあるだろう。しかし、日々の生活で起きるデメリットがクリアできたら、それでいいのだろうか。私が危惧するのは、省エネによるLED照明の導入が、国策であるならば、LEDの光の人間に及ぼす影響に関する研究がバイアスのかからない状態で行われるだろうか、という点である。
過去、ある研究分野が行われなくなった背景には国策が無関係とは言えないことがあった。たとえば、1970年代〜80年代初頭には、高層の集合住宅に居住する子供の発育環境に関する研究論文を目にした記憶があるのだが、いつの間にか、見当たらなくなった。なぜかはわからない。インテリアの素材に含まれる化学物質の居住者への影響についての研究も同様である。明確なことは言えないが、大学の研究者であっても、国の経済成長や産業促進から距離をとった立場で研究を継続することが難しい場合もあるということだ。
地球温暖化現象は全世界で対策を講じなければならない喫緊の問題である。国民はそれを理解している。その対策だからといって、研究途上であるLEDの製品の製造を、国が諸手を挙げて推し進める、という方法が果たしていいのだろうか、という疑問は拭えない。
暮らしの中に色を取り入れる際、木の素材に似た色や圧迫感のない淡い色を用いる人が多いのも、それが心身に落ち着くからかもしれない。既に殆どが製造中止されている温かみのある黄色い白熱電球は、何となく落ち着くという理由で好まれたこともあった。省エネの理由で生活者の選択肢がなくなることを甘んじて受け入れていいのだろうか。温暖化対策にあたっては、照明だけではなく他の選択肢も真剣に考えていきたいものである。
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