「ローカルカラー」
「経営労務ディレクター2009・7~8月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~
昼間明るく見えた赤の色は、夕方になると暗く見える一方で、青い色は明るく見えてくる。この現象を発見者の名にちなんでプルキンエ現象と呼んでいる。これは、昼間に働いていた網膜の錐体細胞に代わって短波長側に高感度な桿体細胞が働き出すため、視覚系全体が青の方にシフトするからである。
一般的に、赤は何よりも目立つという先入観があり、それは確かに一面あたってはいるのだが、どのような条件下で見るのか、それによって私達人間の目の働きも影響されている。上記の現象もその一例である。以前から述べている通り、色は主語にはならないのである。つまり、「○○色は・・・だ。」と断言して言うことはできない。誰が、いつ、どこで、どのような状態で色を受けとめているかで、色の感じ方は異なってくる。ここで言うどのような状態で、というのは、どのような色の取り合わせで見ているのか、ということも含まれる。注目している色の隣にどのような色が存在しているかで、その色の感じ方は変わってくる。派手に見えたり、地味に感じたり、明るく見えたり、暗く感じたり、といった相対的な感覚が生じるのである。つまり、隣の色を模様替えしたら、明るいと思っていた色がそうでもなかったり、ぼんやりしていた色がはっきりと見えたり、といった印象に変わる可能性は高い。そんないい加減な、と思われるかもしれないが、色はこのようにして無常の存在である。
そのようなことで言えば、グローバル社会と言われる昨今であっても、色については、ある国で美しいと感じたり、流行した色を他の国にもってきても同じようには感じないのである。
2009年7月にイタリアのラクイラでサミットが行われた。それに関する報道をNHKがその地域の自然風景を背景にテレビ中継していたのだが、その時の記者のネクタイの色があざやかな無地のオレンジ色であった。おそらく、同じファッションで日本のスタジオに登場すれば「派手なネクタイだな」と感じるかもしれないが、イタリアの雰囲気や空気には恐らく馴染んだ色であったと思える。それほど、色を見ている土地の気候、風土、文化によって、その受けとめ方は変わるのである。
イタリアの色、フランスの色、北欧の色、中国の色、韓国の色、といったものは、その地域の気候、風土、歴史、文化が土壌にあって、そこから生まれた色である。同じ日本でも、北海道のジャガイモを北海道でなく本土の水で炊いても、それほど美味しくはない、といった話を聞くように、色の場合も風土の異なる地域によって色の見えは異なる。つまり、色の世界ではグローバルスタンダードはないのである。すべてがローカルカラーと言ってよいだろう。
今日、グローバル社会における中で、今回の世界大不況が起こったのだが、このグローバル経済を制御するシステムを構築しなければ今後の世界経済を立て直すのは難しいと言われる。人間の欲望をかりたてることを世界レベルで行ってきた結果ではあるが、色の世界は、幸か不幸かどの社会にも通じるグローバルスタンダードにはなり得ないのである。そうではなく、土地固有の色をあたり前に受けとめる感性がかの土地で生きる人間には備わっているのだから、それを大切にすることを考える方がいいだろう。不況を解決する糸口も各地域の構造の中で見つけることが大切であって、グローバルなシステムだけに目を奪われていたくないものである。
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