「東北の景観~無常から考える~」
「経営労務ディレクター2011・9~10月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~
近代以降、さまざまな色が生み出されてきた。直接的な原因は、合成染料が発明されたからである。日本でも、ありとあらゆるところに多くの色が氾濫している。街の中の建造物や広告看板を始めとして自由自在な色の使われ方は、街全体がおもちゃ箱をひっくり返したような感じになり、景観全体の統一感は失われる。これについての問題は、以前からここでも述べさせて頂いてきた。
日本では、こうした景観問題について語る時には、ヨーロッパの美しい街並みと比較されて、論議されることが多かったのも周知の通りである。この点について、東日本大震災が起きて以降、考えてきたことから改めて見直してみたいと思う。
日本は地震列島である。過去に遡れば、地震、津波は、何度も起きている。もちろん、他国も起きてはいるが、これほど長い歴史に渡って自然災害と共存してきた国はそれほど多くないだろう。まして、毎年、日本列島を襲う台風は、爪痕を残し、被災者を出している。そのような自然と付き合ってきた中で、前号で取り上げた日本の美意識の余白の世界や無常観が育まれたと考えられなくもない。まして、こうした風土の中では、西洋文化が放つ絶対性という価値観や一神教による絶対支配という宗教のようなものが生れることは難しいだろうと想像する。
私は、幼少の頃、阪神間の海の近くで育った。毎年、そのあたりは台風が襲った。我が家の前に道路をはさんで大きなお屋敷があったのだが、台風の到来と共に、その家の木の塀は、すべて壊れた。しかし、台風が通過した後、しばらくすると塀は修理されてもとに戻っていた。そして、翌年の台風がくると、また壊され、また、いつの間にか、修復されていた。そのような光景に見慣れていたせいか、幼心に、台風とはこういうものかと思っていたし、周りの大人も大層には思っていないようだった。
もちろん、我が家を建てる人は、そこにいつまでも住むことができることを願っているだろうし、せっかく建てた家が、地震や津波や台風で破壊されるかもしれないとは当然考えていないだろう。満開の桜が散っていく美しさを愛でる文化があるからといって、自らが所有していた物が失われることに対しては、悲嘆にくれて当然である。それを踏まえて、あえて言うのだが、日本の無常には、四季の移ろいによる自然の変化から生まれる美的感性といった側面だけではない、諸行無常という意味がある。無常であるから人生は虚しく、はかない。しかし、無常だからこそ、悲惨な状態もいずれは変化していくという捉え方もできるのである。だからこそ、自然に破壊される側面もそれなりに受けとめてきたのである。
だからと言って、今回の大震災を、無常という自然の摂理のみで語ることは当然できない。このような甚大なる被害、膨大な命が失われたことに対して、何も語ることはできず、今は、ただ、立ちすくむだけである。しかし、それでも無常という言葉のもつ意味を、私たちは、改めて深慮したらどうだろうか。
古の頃から、自然の変化を当然とし、すべてが自然によっていつかは崩壊するかもしれない一過性のもの、といった思想が私達日本人の中にあるとするならば、景観形成についても、ヨーロッパのように西洋思想が礎にある絶対性を背景にして形成される景観づくりとは全く異なったアプローチから考える必要があるのではないだろうか。
街並みの景観形成は、本来は相当な時間を要するものである。もちろん、被災者の方々の日々の生活に対しては、早急な国の施策だけでなく、私達一般人の末長い支援は必要である。しかし、この大震災を負の遺産として、効率だけを求めるのではなく、東北地方の自然や歴史を基にして景観形成への道筋を描いていかなければならないのではないだろうか。それらを考える途上で、日本人が、日本における東北が、縄文文化の精神を宿し、二千年ほど前は、日本の経済的、文化的な中心地であったことを見直し、今後の東北の位置づけを考えることになるからである。
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