「オリンピックと色」
「経営労務ディレクター2014・1~2月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
2020年の東京オリンピック開催が決定した。熾烈な招致合戦の結果、勝ち得たのであるから、それら関係者の苦労を慮れば喜ばしいと言うべきだろう。しかし、関東在住の私の周囲では、東京でのオリンピック開催を待ち望んでいる人が必ずしも多いとは限らないという印象をもった。先の見えない原発事故の後処理を抱えた日本で開催する必要性があるのだろうかという疑問を投げかける声も実際に耳にした。しかし、既に決定した今、私達にできることの一つとして、他国から訪れる人達に、競技だけでなく、ぜひとも日本文化の一端に触れて頂く機会があれば、と願っている。
今回は、この機会に、1964年の東京オリンピックを事例として、色彩管理について述べてみたいと思う。誘致活動の最中でも、東京の街のあちらこちらに五輪のマークが風になびいていた。このオリンピックのマークの5色は、オリンピック憲章に定められており、それは、1914年にクーベルタン男爵が提出した白地に青・黄・黒・緑・赤の五輪旗を正規の範型にするとされている。このようにして5つの色名は確定しているのだが、具体的に各色をどの色にするかは決められていない。その色を選定する作業のために、前回の東京オリンピック開催の2年前に、JOCの委嘱によって色彩委員会が和田三造を委員長(当時(財)日本色彩研究所理事長)としてもたれたのである。しかし、委嘱にあたって、JOCは、色彩選定は委員会の申し出に対して費用は一切払わない、委員会は研究成果についての権利も求めてはならない、決定したものを一般に押し付けてはならない、という条件で承認したらしい。今の感覚からみれば随分失礼な話であるし、少なくとも今の社会では、通用しないだろう。
現在では、色が視覚におけるコミュニケーションツールの重要な要素であることは、誰もが周知しているが、当時の色彩委員会が提出した報告書の中には、マークの5色を選定する際に「視覚伝達が最も明確にされ得る」ことが記されていたらしい。そこで、色彩委員会は色彩管理という科学的な発想の下、一定の基準色を示した上で、さらに、現実的な使途によって染色、印刷、一般的な塗装という合計四通りの標本色を提示したのである。つまり、当時、日本では違う材質での標本色選定ができる技術水準、さらに言い換えれば、そうした色彩管理がすでにできていたといえよう。もちろん、業界としては、市販のものでなく特別な仕事を強いられるがためのコストゆえ抵抗はあったらしい。しかし、委員会の提案は通った。今後の産業界にとって、きっと役立つという確信をもって乗り切ったのだろうと伝えられている。
そして、最終的には東京オリンピックの指定色として発表され、JOCは、それをマークの色彩基準として採用し、目標値を色体系の表示記号をもって示した。これは、国際的な一大事業でもあった。色が科学的な共通語であることを産業界に周知させたのである。
現在では、前述したような色彩管理は常識であるが、そこに至る考え方や技術が、前回の東京オリンピックでは、オリンピックの名の下で成就できたのである。新幹線の開通や都市整備だけではなく、多くの産業技術が急発展をした。さて、半世紀以上を経て、2020年のオリンピックでは、日本は、世界に何を伝えることが出来るだろう。それが単なる技術革新でないことは、誰もがわかっているだろう。3.11において世界で最も過酷な原発事故を経験した日本は、世界の注目の的となっている。それだけに、そこから何を発信できるのか、その内容次第で、日本への信用を高めることはできるのだと期待したい。
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