「西宮市内の古民家を訪ねて」
「経営労務ディレクター2018・5~6月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
現在、兵庫県西宮市に在住しているのだが、市内には多くの歴史的建造物等が多くあり、なかなか奥深いまちなみであることがわかってきた。一般的に大阪から神戸間は阪神間とも呼ばれモダニズムのイメージがもたれている人が多いと思う。実際にヴォーリズ建築の関西学院大学や神戸女学院大学、フランク・ロイド・ライトの愛弟子の遠藤新設計の旧甲子園ホテルの建物などがあり、見学客も訪れる。六甲山と海に囲まれた地域にモダンな雰囲気が漂っていることは一つの地域特性かもしれない。
しかし、小規模な自治体である西宮市も北部地域がある。そのまちなみはむしろ里山に近い雰囲気があり、南部地域とは、がらっと様相が異なる。有馬温泉(神戸市)に近いこともあり、1600年以前から天皇や武士などが有馬に訪れる際に立ち寄ったゆかりの土地として史跡も残されている。
昨秋、阪神文化財建造物研究会の方のガイドで、北部地域である船坂、山口、生瀬、名塩等各地域の街を訪れた。これらの地域の景観はもちろんのこと、街が抱える課題も考えたいと思ったからである。
今や住宅地域の要素が強いこの地域では、人が賑わう南部地域と全く異なり、茅葺きの民家が僅かながら残り、自然の美しさを楽しませてくれる地域である。これらの地域のうち、生瀬と名塩は宝塚から電車で5分もかからず、非常に都心部と近い。船坂と山口地区は西宮の南部から車やバスで約1時間ほど、相当時間のかかる地域にある。住民の人たちの日常生活は車での移動手段があたりまえとなっている。
地方でも住宅地域を歩いていると、落ち着いた色彩の外壁の中に、あざやかな色を外壁に使用した小さな商店をみかけることが時々あるが、これらの地域では、それが見受けられず、落ち着いた色合いの風情が漂っていた。船坂や山口地区の建築物で特徴的なのは摂丹型民家と呼ばれる伝統的な農家が認められることであり、これら民家の屋根の妻側の三角形の部分に破風(はふ)と呼ばれる妻飾りがみられることである。通常は穴が開いていて煙り抜きになっているところである。この破風によって家の格式を表していた面もあったそうだ。
生瀬地区は、古くは京都や大坂から丹波、但馬、有馬へと抜ける道筋にあり、江戸時代には幕府指定の宿駅であった。そのため、ほぼ無賃の公用の輸送に携わる一方で、旅人が宿泊する旅籠屋の収入をもって町場の維持をはかっていたらしい。そのため、それら民家が並ぶ生瀬街道には独特の風情があったと聞いている。第二次大戦以降は近代家屋に建て替わり、また阪神・淡路大震災で倒壊するなど、それら宿場町の面影は殆ど失われた。いくつかの建物は、古い民家の形態を維持し住居として使用されている。だが、それらを維持していくのはたやすいことではなく、古民家再生にも多くの技術とコストを要する。しかし、それを逆手にとって街のコミュニティの活性化に繋がる可能性に期待したいのだが、そこで生活していない者が安直に言う資格はない。まずは地区の歴史と建築物を知ることから北部地域の街にも関心を寄せたいと思う。
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