「色名の役割が変わる?」
「経営労務ディレクター2012・5~6月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~
色の様相を人に伝えたい場合、色名は便利なツールである。桜色や鶯色と聞けば、おおよそ色が想像できるからである。ところが、蘇芳、縹色、浅葱といった、今では耳慣れない名前も存在する。たとえば、利休鼠といった色名を目にしても、容易には色をイメージできないかもしれない。しかし、実際はそのような色名を用いなくとも、緑色を帯びた鼠色、といった表現等でわかりやすく言い表すことは可能である。それを、なぜ利休鼠という色名をあえて用いるのだろうか。
おそらく、千利休という人物を取り巻く、当時の茶の湯文化の雰囲気までをも伝えたいのではないだろうか。つまり、色名を伝える側には、色の具体的様相を伝えるだけでなく、その名前を通して当時の文化を伝えたい想いがあるのかもしれない。どうも、色の名前といっても、そこには奥深い一面もあるようだ。
昔からある日本の色名には、植物の名前からとられたものが多い。おそらく、その所以は、色を生み出す際の染料の多くが植物であること、これら草木の色によって四季の移り変わりを楽しんだため、草木と色は密接な関係があったからではないかと想像できる。以前、拙著(色からの伝言)でも記したのだが、周囲の色が自らの生活に帰属する社会(1970年代のアフリカのエチオピア西南部のボディ地方だが、文字ももたず、学校教育もなかった)では、色を表す色彩用語について豊かな語彙をもっていたそうだ。なぜならば、色が彼らの暮らしとは切り離せない必要不可欠なものであったからである。それから考えると、多くの草木に恵まれた環境で育った日本人も、豊かな色彩用語をもちえていたと言えるだろう。
それが時を経て江戸時代になると、人の名をつけた色名が登場するのが興味深い。歌舞伎役者の名前をつけた芝翫(しかん)茶(三代中村歌右衛門、芝翫の好みの色)、大和柿(坂東三津五郎、大和屋好みの色)など、他にも数多くあるが、これらは当時の流行色である。庶民が人気役者に憧れ、その色を自分も手にしたいと思う気持ちは、現在の人気スターに対するファンの気持ちと同じだろう。
一方で、千歳茶や桜鼠といった、茶色や鼠色系統の色名が多かったのも、この時代の特徴である。奢侈禁止令によって、庶民は目立たぬ色を身につけることを余儀なくされたが、その渦中にあっても、人々は、茶色や鼠色系統の目立たぬ色を数多く誕生させ、それを粋な色として楽しんでいたのである。
そして近代、合成染料を用いて、大量生産方式で色を染めるようになって以降は、周りに生息している植物で染めた色ではないだけに、色名も聞き慣れないものが誕生したかもしれない。西洋文明が暮らしに浸透していく中、カナ表記の色名も増えただろう。そのため、誰もがそれらの色名を理解できているとは限らない。たとえば、JIS(日本工業規格)の慣用色名(269種類)ですら、そのすべてを知っている人は多くないだろう。
色名とは、もともとは色の雰囲気を伝えるにはわかりやすく便利なものだったはずである。ところが、今の私達は、生活の中で数多くの色名を使い分けているようには見受けられない。どちらかと言えば、あざやかな青、くすんだ感じの緑、薄い水色といったイメージを用いて表していることが多いようだ。まして、色を扱う我々の仕事では、具体的に色を表記するには、マンセルシステムの三属性(色相・明度・彩度)による数値を用いるため、色名は実践的なツールではない。こうした現実を考えると、今後、ますます色名とは、色を表すだけのツールではなく、その色の背景にある歴史などを物語る役割を担う場合が多くなるのではないだろうか。いわゆる、時代の文化を背負う存在になり得るのかもしれないと推測するのである。
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