「色の両義性」
「経営労務ディレクター2017・1~2月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
多くの事象には正負の側面がある。たとえば社会制度にも日常品にも便利な面と不便な面といった良否の側面がある。非常にわかりやすい事例としてスマートフォンを取り上げてみよう。それ自体が小さなパソコンであるため、世界中どこにいようが情報を即座に得られ手元でメールの送受信も可能である。その一方で、休暇中であっても仕事は追いかけてくる。今やWifi環境は世界中に広がっているので、モバイルのパソコンのみで旅先だろうがどこでも仕事ができる。その一方で窮屈な面もある。今後は、AIの普及により革命的とも言えるほど便利にはなるが、そのデメリットは想像がつかないほど大きいだろう。
さて、色彩の世界において両義性をもつ典型的なものが色名である。江戸時代後期で流行っていた色の中に「浅黄色」という色名がある。実際の色は今で言う浅葱色で青系統の色である。黄色ではない。しかし江戸時代の文中の殆どが浅黄と書かれているらしい。当時の人は浅黄と表記することへの拘りがあったのだろう。黄色を好んでいたのかもしれない。色彩学者の小町谷朝生氏がその理由に黄色と金色の視覚的類似性があったのではないかと考えられること、具体的には黄色に金の暗喩を了解した大衆がいる社会であったこと、彼らの集合的真理の働きにより浅葱に代えて浅黄を用いたのではないかと述べている。
それにしても現代人としては、青色系統の色を黄色の文字を使用して表していたことにまずは驚かされる。しかし、そこから当時の人々の色彩感覚を推測できるかもしれない。おそらく青色と黄色に、どこか共通する感覚があったのではないだろうか。近代以降の色彩表示の管理下においては黄色と青色は色の見えについて正反対の色として把握しているが、当時は色の見え方をそのまま色名にあてはめるのではなく、全く異なる感覚で色の名前をつけていたのではないかと考えられる。
では、浅黄色の色名の両義性とは何だったのだろうか。それはしゃれた雰囲気と野暮な代名詞の両面があったことである。それぞれ具体的例をあげるならば、前者については浅黄色と紫を配色するモダンで上品な雰囲気を表していたこと、歌舞伎役者の着用によって浅黄鹿の子模様の着物が江戸の町娘の間で爆発的に流行ったこともある。一方、後者については浅黄の色の羽織や着物の裏地が安価なため多用された。そのため評価の低下を招き、参勤交代で江戸に出てきた下級武士の衣服の裏地に用いられていたそれを見て「浅黄裏」と呼んで馬鹿にしたらしい。
時代を経て同一色に対する捉え方が全く反する意味をもつことは歴史上よく見受けられるが、同じ時代において色がもつ両義的な面を示した例として浅黄は希少な例だと言われている。この傾向は明治以降、合成染料による色が生まれ、同時に同一の色が作られるようになったことで加速しただろう。もはや現代では、全ての色には捉え方により正負の側面があることは周知されている。たとえば黒色は、フォーマル、カジュアル、暗い、上品等、さまざまな顔をもつ。また光の色となると、色そのものが記号化しており各色の意味合いすらもたなくなっているのではないだろうか。まるで加速をつけて様変わりする社会を反映しているかのようだ。
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