「沖縄の琉球赤瓦と景観形成」
「経営労務ディレクター2018・11~12月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
沖縄では、シーサーが見守る赤瓦の屋根の家を見かけることが多い。沖縄の強い日差しに映えた独特な景色である。沖縄における瓦の歴史は12〜13世紀まで遡ることができるらしいが、首里城周辺等の発掘現場などからは赤だけでなく灰(黒)の瓦等、2種類の瓦が使用されていたことがわかっているらしい。なお、一般住宅での瓦葺きは明治22年まで禁止されており、それ以降に赤瓦が普及したという説がある。その一方で、琉球赤瓦の機能性という点から見ると断熱性があるといった実験報告(沖縄県赤瓦事業協同組合)もある。しかし、今回は、沖縄の赤瓦が何を物語っているのか、色だけに着目して考えたいと思う。
沖縄、すなわち琉球の赤の色を語るにあたっては首里城の鮮やかな朱色に触れなければならないだろう。琉球には中国との長い交流の歴史があり、その中国では、赤が高貴な色とされていたのだから、影響を受けたと考えてもおかしくない。首里城の瓦が赤い理由は諸説ある。1879年、琉球国王は14世紀に造られた首里城から当時の明治政府によって追放された。その後、首里城は度々の火災、また大戦の戦火にもあった。1992年に復元され、2000年に世界遺産に登録された。首里城の赤は、改めて琉球の赤と認識されたと言えるのかもしれない。
今では歴史性豊かな景観の保存として赤瓦が利用されていることが多いと想像できる。実際に沖縄の景観に赤瓦はどれほど影響があるのか、景観法による景観計画から調査してみた。現在、沖縄県では28の自治体が景観計画を作成している。そのうち約4割の自治体の景観計画における景観形成基準の意匠の要素において、「赤瓦」の言葉が含まれている。つまり、赤瓦の使用をすすめる内容となっている。ここには、県産の赤瓦の普及を推し進める狙いも否定できないかもしれない。
しかし、沖縄の日差しの中で赤瓦と白の漆喰は似合っていることは事実である。約10数年前から沖縄に毎年訪れているが、それら景観は美しいと感じる。中でも竹富島は重要伝統的建造物保存地区ではあるが、景観計画における意匠の部分では<屋根の素材は琉球赤瓦葺きとする>と規制をかけている。
琉球王国からの長い歴史の過程で赤瓦の存在意義は変遷をしているかもしれないが、景観において赤の色をふさわしいとは思われていない本土とは違い、沖縄では琉球の赤として受けとめられている。世界を旅した友人は言う「世界中で海が最も美しいのは沖縄だと思うよ」と。サンゴ礁のエメラルドグリーンの海の色、白の漆喰に赤瓦。沖縄の美しい景観になくてはならないものだろう。2018年8月に亡くなられた翁長沖縄県前知事(米国フォーブス誌は「日本で最も勇敢な男」と記事にした)は「イデオロギーよりもアイデンティティー」と常に語っていた。沖縄のアイデンティティーの意味には深いものがあるだろう。沖縄の赤瓦を語るにあたって、単なる景観形成の要素のみとして語れないことは肝に銘じたい。
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