「転換した色の価値」
「経営労務ディレクター2011・3~4月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~
今では、特別な儀式があった場合、それが慶弔いずれであっても、黒のスーツや式服を身につけることが習慣となっていることが多い。特に男性となれば、それが当然のごとくなっているだろう。では、なぜ黒を着るようになったのだろう。一般的には、それは近代の到来に始まってのことと思われがちだが、どうやらもう少し歴史を遡らないとその意味がわからないようである。
オランダの画家にレンブラントがいる。日本でも展覧会に出品されることが多いので、ご覧になった方も多いだろうが、その絵に登場する人々の服装の色は黒が多く描かれている。こうした黒の服装が市民に根づいたのは、16世紀以降であるが、それはプロテスタントの禁欲的な思想に反映された結果だと言われている。プロテスタントと言えば、ルターなどの活動家の思想の中に、色彩破壊論と呼ぶべき色彩倫理があったらしい。具体的には、明るい色や暖色系の色を不道徳として退け、黒や灰色などの衣服の色を勧めるという色の倫理観である。アダムとイヴが禁断の実を食べて自らが裸であることを知ったため服を着るようになったことから、衣服は原罪を思い起こさせるという聖書の教えがある。こうした思想の下、市民の中で黒の衣服が根づいたため、今日に至っても男性は暗い色のスーツを見につけることになっていると考えられている。
もちろん、こうした宗教上の思想からのみで黒の意味について語れるわけではない。もう少し時代を遡ってみよう。13世紀頃の物語では、白は美しさと歓びの源と捉えられていたのに対し、黒は、醜く危険で卑しい色とされていた。その意味の中で、黒は、「悲しみ」という概念と結びつけられたため卑しい色とされていたらしい。このことは、現在の私達の感覚からは想像しにくいものである。しかし、当時の人々が、そのような悪いイメージを担わされた黒を身につけることはなかったであろうことは理解できる。それが、なぜ黒の色が一般化していったのだろうか。どうも、中世末期に色の価値が大きく転換したと言われている。黒については、前述したように、悲しみの感情と結びつけられ、その感情自体が凶弾されるほどのものとされていた。しかし、15世紀になると、悲壮感に耐える表現を喪服で隠しながらも伝わってくる感情に敏感になるほど、悲しみに耐える姿に美を見出したのである。そのため、悲しみのイメージが美と結びつけられることで黒のイメージが良くなったのである。喪服の色が黒となったのもこの時期だと指摘されている。
黒の服の色が一般化する歴史の背景には、今あげただけの理由だけでなく、他にもさまざまな要因が重なっているだろう。ただ、ここで述べておきたいのは、ある色が一般に広がったり流行化するには、その色の価値がプラスなものへと転じる変革が伴っている、ということである。もちろん色のイメージの変遷は、今でも社会構造の変化に伴う人々の意識の移りように関係して頻繁に起きているだろう。しかし、色の価値が180度変動した背景には、もともと色のイメージに対する価値観自体が大きく転換したと考えられるのである。
今でもヨーロッパの色彩感覚に憧れを持つ日本人は多い。冒頭に述べたように、日本では西洋化された色の使い方をすることも多くみられる。しかし、その色が使用される経緯には、日本ではわかりづらい宗教や社会構造があったことを頭に入れておかなければならないだろう。色が神の創造物であったとされていた当時のキリスト教の思想は、同じその頃の日本人の感覚からも全く理解できないものであったに違いない。
よく使われる「色は文化である。」という言い方は、全くその通りである。それは、時代によって場所によって異なる社会のさまざまな要素が噴出することで色となっていることを語っているのである。しかし、その文化を知ることはできたとしても、理解することがいかに困難であるかを思い知らされるのも色なのである。
・参考文献
徳井淑子「色で読む中世ヨーロッパ」講談社(2006) |