「生き続けるデザイン」
「経営労務ディレクター2016・9~10月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
2015年3月の日経新聞に一つの追悼広告が掲載された。それはキッコーマンのしょうゆ卓上びんが語る感謝のメッセージであった。少々長いが、そのまま記させて頂く。
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「私を生んでくれて、ありがとう。」
私が生まれたのは1961年。50 歳を超えたいまも、多くの人から愛されつづけているのには、 一人の偉大な存在があります。私を世の中に生みだしてくれた、G Kデザイングループの創始者、榮久庵憲司氏です。私が生まれる前の日本といえば、どこの家庭にも2ℓのしょうゆ瓶があり、 そこから陶器のしょうゆ差しへ移しかえるというのが主流だったそうです。 お店で買ったままの状態で、すぐに食卓に置ける。しょうゆのしずくが垂れない。 保存するための容器から使いやすい道具へ、という発想の転換と機能性の追求から、 私は生まれました。かつてない、美しいフォルムで。
戦後から高度経済成長期へ突入した 1960 年代。日本の明るい未来を象徴していた 赤いキャップと黄色いロゴマークは、食卓を和ませ華やかなものへと変えていきました。 そして、私は、日本人の心に DNA のようにずっと存在しつづけています。 生まれた時から変わることのない、完成されたそのデザインは、いまや世界の多くの国で流通するスタンダードなフォルムになっています。 榮久庵憲司さま。私を生んでくれて、本当にありがとうございました。
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榮久庵憲司氏の名前をご存じない方でも、キッコーマンのしょうゆ卓上びんは見たことがあろう。今も存在する不朽の名作である。それを生み出した「デザイン」とは何だろうか。デザインは芸術とは違い、自分のつくりたいものをつくるわけではない。デザインは社会の要請があって始めて成立する。よって、それら要請が生まれる土壌が必要となる。榮久庵憲司はその土壌をつくるデザインの運動家でもあった。
デザインの歴史を考える際に、日本では千利休の茶の湯の世界にいきつくことが多い。利休は建築、庭園、美術・工芸、それらすべてをトータルにデザインした。そこには思想があった。利休は「わび」という美しさを追求した。榮久庵憲司氏もお茶をされた。彼の目指したデザインとは追悼文に記されているように、文化と思想が交わるところにあったのかもしれない。そこにデザインの土壌が育つのである。実際にしょうゆ卓上びんは和食文化と当時の西洋化がすすむ日本社会との交差点の所に登場した。使われた赤と黄の色は、その交差点にマッチしたのである。それらの色は「食」そのものの象徴だけでなく、夢をもてる将来を表したと言えるだろう。今や和食文化は世界に広がっている。
デザインの色を語るとき、色の良否について絶対的なことは言えない。時代や社会を背景にしてつくられた作品が何を目指しているのか、デザイナーの思想も含めて現れるのが色だろう。時代を読む感性、社会のあり方を考え抜く思想があってこそ、社会の課題を解決できるデザインとそれに相応しい色が生まれる。55年前のしょうゆの卓上びんの赤と黄色は今の混沌とした日本社会を必ずしも象徴する色ではないかもしれないが、世界のどこかでは求められているから生き続けているのである。デザインの色は時代を象徴するがゆえに、社会を読み解くファクターにもなると言えるだろう。
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