「古の色の呪力」
「経営労務ディレクター2013・1~2月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著
今では、文献を通してのみわかることだが、古の人々が、いかに色に秘める特別な力を信じ、それを重宝していたか、ということについて、頭で理解することはできても、その力を感じることは、我々にとって非常に難しい。それは、なぜだろうか。なぜ現代人は色に対して、特別な感覚をもたなくなったのだろうか。近代以降の社会のさまざまな技術や思考の変容に伴う人々の感覚の変化が原因だとも言われるが、それで果たして片付けられるのだろうか。
近代の幕開けと共に、色への捉え方、接し方が変わっていったことは事実であるが、「近代」というものが、色の力を失わせてしまった直接の要因だと断定することは難しいだろう。このことは、色が自由に、あるいは、やみくもに使われている社会の中で、色の有効性を求められる我々にとっては無視できない課題である。そこで、今年は、この問題を頭に置きつつ、色について述べていきたいと思う。そこから少しでも、今の日本の色を見つめ直すヒントが浮かび上がれば幸いである。
そのために、まずは、日本の色彩文化を辿ることにするが、今回は、上代と呼ばれる時代をみていくこととする。このような昔の色彩の姿を見たところで歴史の一コマに過ぎないのではないかと思われるかもしれないが、過去から今に至る色の姿を辿った上で、現在の色をとらえることは重要であると考える。
まず、押さえておかなければならない視点は、日本の文化を見ていく上で日本だけを見ることは、不可能であるということだ。特に、近隣の中国大陸や朝鮮半島との関係の中で、日本が存在していたことを念頭においておかなければならず、それらの交流の中でどのように日本の文化が形成されてきたのか、を捉える必要があるだろう。
三世紀頃、卑弥呼から魏に送った多くの染織品は、藍染や茜染めによって生産されたらしい。当時、灰汁媒染を必要とする茜染めは、すでに行われており、染める際に、使われる草の根が赤いことから赤根(あかね)と呼ばれることになったのが、その名前の由来と言われている。但し、染色については容易ではなかったことが想像される。というのは、中世以降はその染色がすたれ、江戸時代、昔の茜色に魅せられた徳川吉宗により、茜染の技法を復活させようとした話があるほどだ。
しかし、そのような困難な茜染めの赤が、必要とされ生産されていた時代があったのである。文献から、神功皇后が新羅征伐の渡航の時に赤を用いた記載があるように、そこに信仰と色が結びついていたこともわかる等、特別な色の一つであったことは推測できる。
一方、装飾古墳として使われた色の中でも、赤色顔料(天然朱や酸化鉄)が最も多いことから、日本古代の色土で赤色は重要なものとして考えられている。古事記や日本書紀によれば、当時の生活の中にはアニミズムが存在し、呪術が行われる等、信仰的なものが含まれていたことが明らかになっている。赤土は、その中で、悪神の活動を封ずるための呪術であって、単なる赤土として存在しているのではなかった。
もちろん、赤だけでなく、白や黒も呪術に用いられた。記紀には、神や人が動物に化して行動をした伝説の多くは、白色動物とあるらしい。黒も汚穢の観念としてあった。ある特異現象において、色が介在していたとみることができるのである。
日本の歴史上、上代は特にアニミズムが存在し、色が呪力をもっていたことは否定できない。不可思議な事象を引き起こすために色が使われたことから推測すると、そこには、抽象的な色の観念が働いていたことがわかる。そうした観念は、大陸から伝来した思想の影響も含めて日本古代における色の特質と言えるだろう。
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