「景観形成に向けての市民活動のあり方」
「経営労務ディレクター2015・5~6月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
「公共の色彩を考える会」が、本年3月末をもって幕を閉じた。1981年に活動を開始した本会の目的は、より良い環境色彩のあり方を模索しつつ、問題提起や啓蒙活動をしていくことだった。
会が発足する契機となったのは、1981年の東京都バスの騒色問題。赤と黄の新塗色の都バスが街の中を走り回ることによる非難の声が市民からわき上がり、この問題を解決するために会を発足した。その後、主な活動としては、毎年1回の「公共の色彩賞」という各地域の優れた環境色彩を顕彰する事業、シンポジウムやフォーラムの開催、また、環境色彩の様々な事例を見て歩き、会員同士が話し合いを行うことを目的とした年数回のカラーウオッチング等も行ってきた。他にも件数は少ないが、騒色問題で被害を被られた住民の方からのご相談を受けて、それに対して問題解決に向けての対応をしてきた。
今回、語りたいのは、このような色彩景観を良くしようという理念のもと、活動してきた市民活動団体が、なぜ解散をしなければならなかったのか、ということである。減少する会員数や賛助企業の会費だけでは維持できなくなったことがあるなど、運営上の問題がなかったとは言い難いが、それだけでなく考えなければならないのは、会の運動による社会への影響だろう。
以前、会の代表を最も長く努めておられた当時の会長に、ヒアリングをさせてもらったことがある。その際、公共の色彩を考える会は市民の色彩景観への意識を変えることができたのだろうか?という私の問いかけに対して、「それは、わからないが、少なくとも自治体の職員の方には関心をもってもらえた実感がある。」という回答をされた。確かに、私が景観調査に伴ってヒアリングを行ったいくつかの自治体の担当職員の方々は、会の存在を認識していた。そうした意味では、運動の成果が、一定程度得られたことは否定できないだろう。とは言え、色彩景観に対する重要性について考える団体活動に関心を示すのは、実際に各地域の景観のあるべき姿を考慮し、景観計画や景観条例を作成することが求められる地方自治体の都市整備課などの職員を除いて、どれほど多くの住民がいるのかは疑問である。
2004年に景観法が施行され、各自治体が建築物等の色彩規制を法的に行うことができるようになったとはいえ、一般市民の中には、未だに自宅や自らの店舗の外壁をどのような色を施すかは自由ではないか、という意見を耳にすることがある。自らの建築物であっても、外壁はパブリックな空間であり、それらの色が街並みの景観の良否に影響を与えるのだ、ということを認識している人は増えているのだろうか。上記の状況を見る限りでは、悲観的にならざるを得ない。
しかし、地域によっては、景観を意識した街づくりを活発に行っている市民団体もある。住民が街のあるべき姿を考え、そのために、住民協定によって、色彩の基準を定める等、地域の良好な景観形成に向かって頑張っているのである。自らが愛着をもっている街が美しい街であってほしいという意識があれば、その街の住民の景観への意識も高めることができるのかもしれない。
公共の色彩を考える会は、具体的な地域の景観について考えるのが目的ではなかった。市民一人一人が少しでも色彩環境に興味をもってもらえることを願って活動していたのである。今後の景観形成に向けての市民活動としては、街づくりに取り組む中で色彩景観をより良くする等、地域の視点をもって、街の住民を対象に具体的な発信をしていく方法も考慮すべきだろう。
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