「本来の色とは」
「経営労務ディレクター2015・3~4月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
何らかの物体に施された色というのは、時代とともに退色していくものである。当然のことではあるが、その色が、自分の家の建物の外壁であったり、インテリアの壁の色であるならば仕方ない、ですむだろう。しかし、国の文化財とも呼ぶべき歴史的価値のある作品、たとえば、狩野永徳が描いた襖図屏風であったり、印象派の描いた絵画の色であれば、どうだろうか。「仕方ないね」ですますのには、悲しいものがある。
昨今では、前者については、実物はそのままに、デジタル復元されたものが展示されることが多くなった。この数十年のデジタル技術の精度の高まりはすごいものがある。それまでも、人間の手で復元作業は行われてきた。それをアナログの復元と言うならば、今ではデジタル復元といって、すべての作業がコンピュータ上で行われるようになった。その歴史は20数年ほどであるが、アナログと違って画像処理技術があれば、何度でもやり直すことが可能である。手の作業は少しでも間違えると、それで終わりになる。この違いは大きい。
彩色の復元の場合、アナログの場合は、その時代の顔料を揃えるのに相当な資金や労力がかかる。まして、それが現段階で存在するとも限らない。ところが、デジタル復元の場合は、写真からその顔料をスキャナーで取り込んでデジタル化し、パソコン内に保存することができ、それが物理的に減少していくこともない、と言われている。 とは言えども、アナログとデジタル双方の復元結果を、この眼で見比べたことはないので、デジタル復元を賞賛するばかりはできない。しかし、いずれの方法にしろ、本物ではないのであるから、高度な画像処理技術による方法は、今後もすすめられていくであろう。
たとえ、どのような復元技術を利用しようが、重要であり、かつ困難な問題は、本来は、どのような色が使われたかを明確にすることである。関東大震災や第二次世界大戦によって破壊された作品を復元する際に、そこで描かれていた色が剥がされてわからないことは多い。関係資料を探し、さまざまな専門家の意見も尋ねることで、本来の色だったであろうものに近づいていけるかどうか、そこには、アナログもデジタルも関係はない。
最近、目にした新聞の以下の記事にショックを受けた。「ゴッホやムンクといった巨匠達のオリジナルな色を留めておくために最先端の技術が必要だが、そのためには、現在投じられている10倍もの資金が必要である、と科学者が述べている」。 美術館では、これらの作品を展示する際に、相当な技術と注意をはらっていると思われるが、キャンバスでの色の劣化のプロセスを引き起こしている化学反応を理解することができれば、美術館で展示するにふさわしい照明、気圧、湿度などを調整することが可能であるそうだ。
すでに、ゴッホの「ひまわり」の黄色は、作品が製作された1888年にくらべて茶色に変色しているらしい。その原因は、黄色の顔料であるカドミウムイエロー。紫外線により茶色っぽくなる性質をもっているらしい。これに限らず、合成顔料は早い期間で色の退色が起こる。化学顔料でない本来の顔料は、かなり長い間、その色をとどめているらしい。
いずれにしろ、色は変化し続けるものであることを念頭に、歴史的な文化価値のあるものの当時の姿を思い浮かべてみたいものである。復元された奈良の大仏殿内は、黄金と鮮烈な色彩に満ちているらしい。光のエネルギーにあふれていたことがわかる。なぜ、そうだったのか、これこそ、歴史のミステリーであり、それを解き明かすことにこそ、色の復元の意味があるのかもしれない。
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