「近代に咲いた色」
「経営労務ディレクター2013・11~12月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
今年の「カラーマネジメント」では、日本の色彩文化の変遷をテーマに記してきたが、今回は、まさに近代の幕開けとなる明治〜大正時代における色について述べたいと思う。
日本近代文学を代表する作家の一人である夏目漱石の小説を読むと、当時のパラダイムが変換することによって、人々の揺れ動く姿が窺える。「それから」の小説の最後に、次のような表現が登場する。「・・赤い郵便物、赤い蝙蝠傘、真っ赤な風船玉、赤い車、赤ペンキの看板・・しまいには世の中が真っ赤になった。」と、繰り返される「赤」という色は、まさに近代の幕開けを象徴すると同時に、社会の大きな変わり目を印象づけているように見受けられる。
この時代は、あらゆる場面で色の変革とも言うべき現象があらわれた。中でも、大きな変容がみられた女性の暮らしの中の色を取り上げてみた。まず、明治の女学生を象徴する色としては、明治22年にえび茶色の袴が、華族女学校に採用された。これ以後、「えび茶」というだけで女学生を表すものとなったらしい。華族女学校の校長である下田歌子がこの色をなぜ採用したか、小町谷朝生は宮中生活の経験による伝統的な女官の緋色の袴は派手すぎるが、それに男子の袴の色の藍色を混合し、赤色系統のえび茶になったのではないかと記している。当時としては、この「えび茶」はモダンな色とみられただろう。
大正時代になると、化学染料の普及により多くの明るい色が使われるようになった。今でも、その突出した例として挙げられるのが「新橋色」である。新橋色は、明るい緑みがかった青色である。花柳界の新橋の芸者によって、粋な色として愛好されたことから、この名がつき、流行色にもなったらしい。なぜ、このようなあざやかな色が社会で受け入れられたのだろう。おそらく、この色が突如として登場したとみなすよりも、人々の中で潜在的に求めていた色が、社会に出現したがために、人気を博したと想像する方がいいのかもしれない。大正時代の社会の一端を物語る色の一つだろう。
そして、女性の特徴的な現象として忘れてはならないのが、女性解放運動として知られている平塚雷鳥らの青鞜者であろう。青鞜とは、18世紀半ばの女性解放運動に一役を果たしたイギリスの「ブルーストッキング」の和訳名である。色という名前をもって運動の象徴とした現象は、日本では始めてのことではないだろうか。青の色は、特に主張の強い色ではないが、あえて性別的な観点から言えば、男性を象徴する色である。女性をイメージする色としての赤系統と対抗する色が使用されたのは、男性の下位にあった地位から解放することを強く印象づけるものであったのかもしれない。一方で、現代でも「女らしい色」のイメージカラーに赤やピンクといった色が多くあげられるのは、性別の色が我々の生活の中で強く根づいているといっていいのかもしれない。
このように、当時の色は、その時代の空気を何かしら物語っていた。その後、戦後を経て現在に至る中では、「◯◯時代」という、ある限られた年月で色の特徴を語ることが難しくなっているのではないだろうか。IT社会の中で急速に変化し続ける現代社会では、流行色を予測することも難しいと思われる。めまぐるしく社会環境が変わる中、色が、もはや、ある時代の社会を象徴することはないのかもしれない。しかし、いつの世でも、色は個人個人の心の拠り所として存在しているのである。但し、それが、昔日の色でないことは認めざるを得ないだろう。
*本年6回にわたる執筆の中で、参考にさせて頂いた文献を下記に記した。
・前田千寸「色彩文化史」岩波書店
・伊原昭著「色へのことばをのこしたい」 笠間書院
・小町谷朝生「色彩の発見」NHKブックス
|