「変容する色感覚」
「経営労務ディレクター2010・1~2月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~
日本が近代の幕開けを迎えていた19世紀末頃、合成染料というものが登場した。それを契機に、それまでの天然染料で染色を行っていた時代とくらべて、人々の色に対する感覚が変わっていったのではないだろうかと言われている。今回は、こうした技術や社会の変容が与える色彩感覚の変化について述べてみたい。それによって現在の私達の色彩感覚が常に環境の変化と連動していることについて見直してみたいと思う。
自然の染料や顔料をもって色が生み出されていた時代には、色そのものに何らかの力あるいは畏怖のようなものを感じていたのではないだろうかと思われてきた。そうした感覚を最も象徴する色の一つが赤であろう。古墳が発掘された所からわかるように、赤の顔料である朱は墳墓の周りに塗られていたが、それだけではなく顔や身体にも塗られていたとされている。そこには、魔よけや権威を象徴する習わしがあったのだと考えられている。自然に生息しているものから色が生まれることは、そのもののもつエネルギーが色に置き換わることでもあるから、それなりのパワーがあったことは想像できるだろう。
見田宗介著「社会学入門」によると、柳田國男は、禁色について、江戸時代における権力による支配である「制度としての禁色」(普通の人間には使うことを禁じられていた色)でなく、民衆の自発的な社会心理ともいうべき「天然の禁色」と呼び、あざやかな色をあえて使わなかったことがあるとしている。そして、色への鋭敏な感覚があるゆえに鮮烈な色彩を用いなかった社会から近代化社会へと移りゆく中で、日本人の感覚は変容し、色彩が人間の強い情念などを触発する力を消失していったと述べている。
あざやかな色は、ある限定されたところのみで使われる、という暗黙の規制があった時代は、色のもつ強さに対しての感受はデリケートな感覚であっただろう。それが、化学染料により、同じ色が大量に染められることができるようになってからは、色への距離感が身近になった。つまり、色への怖れがなくなっていったとも言える。
夏目漱石著「それから」に登場する主人公代助は、近代へ大きく舵を切った社会に対して折合いがつけられなく悶々と悩む。世俗的な生き方ができずにいる中で、友人の妻に恋慕をよせ、苦悩する知識人であるが、この小説の最後の場面に赤が登場する。「小包郵便を載せた赤い車がはっと電車とすれちがうとき、また代助の頭の中に吸い込まれた。煙草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。しまいには世の中が真っ赤になった。・・・」。小説の最後で、主人公が町をさ迷う場面では、目にする赤色が次々と集中的に出てくるのである。
偶然といえるのかもしれないが、ここには、柳田國男の言う色彩の解放が感じられると言っていいだろう。前述した畏怖を感じたであろう非日常的な赤が日常的な赤に変化したのが見受けられるのである。日本社会が近代化を遂げるのと平行して、それまで色を特別視せざるを得ない感覚から解放され、色に対する怖れからも解放されたのではないだろうか。
それは一方で、色に対してもっていた繊細な感覚を失っていくことにもなったのかもしれない。社会の構造が均一化されていく大きな変革を伴った近代社会において、染色方法が天然染料から化学染料へと変わっていくことで、色彩感覚のフラット化も起きたのだと考えられる。そのため、いずれの色も同様だと感じるために表面的な色の違いだけをもって色を扱うようになっている。つまり、本来、色に潜んでいた自然の力をもはや感じることはなく、色が物事を区別する色記号としての役割だけしかもたない存在となっていると言えるのかもしれない。これは、やはり大きな色彩感覚の変容といってよいだろう。
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