「ソーシャルキャピタル」
「経営労務ディレクター2017・5~6月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
ソーシャルキャピタルという言葉がある。あえて日本語に訳せば社会資本となるが、それは、道路、水道、空港、公園などのハード面の社会的インフラストラクチャを意味する。しかし、最近、注目されているソーシャルキャピタルとは信頼、規範、ネットワークといったソフト面のことを主に言う。
高度経済社会の時代では、人とのネットワークといえば家族以外には中間集団と言われる「会社」の人間関係が殆どだった。その一方で、それ以外の人的ネットワーク、たとえば地域における結びつきは薄くなっていき、地域のソーシャルキャピタルがどんどん希薄になっていった。
地域の色彩景観を調査していた際に、良好な景観が失われている地域ではソーシャルキャピタルも減退していると推測できるケースが多かった。街づくり活動の中で、経済の活性化を目的として街への集客のために景観を良くするという話は聞く。そこでもソーシャルキャピタルの存在が重要であるが、それら街づくりの活動に熱心な地域は建物の色彩の統一感もあることは否めない。閑静な住宅地の中で、ある時、忽然とその地域にそぐわない鮮かな色の外壁が登場することがあるが、その場合、地域ネットワークの弱いケースが多い。都市部の方が地方よりもそれが顕著であることは想像できるだろう。かといって地方がいいと言っているわけではない。一見、良好な景観とみられるその陰で、縛りの強い古い共同体意識が存在することがあり、それが若い人達の土地離れを起こしている場合もあるからである。
私は、横浜市都筑区という非常に歴史の新しい区に6年間居住していたことがある。位置的には都内の渋谷と横浜駅の中間地点にあたる。駅近くのカフェやショッピングエリアでは小さな子供たちの声が聞こえ若いファミリー層も多いだけあって、住民の平均年齢も市内の中で最も低い区である。こうした昔からの地縁が薄い地域では、ソーシャルキャピタルを積極的に形成していくことに行政も力を入れており、住民独自のコミュニティづくりも積極的に応援していた。しかし将来的にコミュニティが実際に育っていくか否かは、まだまだ試行錯誤の段階だろう。
「悲劇の共有」という言葉がある。何か問題が発生した際に、皆が助け合うことでネットワークが強くなることを意味している。しかし、それすらも今は難しいように思う。一般住宅地の中には、その地域の景観に不似合いなけばけばしい色の外壁が現れ、隣近所の人達がなんとかしたいと思ってもコミュニティが失われているため問題を解決する能力もなくなっている。それで仕方なく当事者だけで市役所に相談することになるが、行政は法や条例に違反していない限りは手を出せない。つまり、地域のことは地域で考え、課題に対して解決する術をもつ力はなくなっているのが現状である。はたして、それを一からつくっていくことができるのだろうか。家族だけでなく行政に頼るだけでなく、ソーシャルキャピタルを核にコミュニティガバナンスができうるのか、については景観維持の視点からも考えさせられる課題なのである。
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