「季節の先取り」
「経営労務ディレクター2011・1~2月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著 ~
最近の季節の移り変わりをみていると、日本の良さでもあった穏やかな四季の移ろいが、昔にくらべて少々異なった様相を見せているように思います。これも異常気象の影響でしょうか。それでも私達は、春に桜の開花を楽しみ、夏は海に遊び、秋に紅葉、冬は雪景色の中で、次の季節に思いを馳せる、といった四季の情緒を楽しんでいます。これは、遥か昔から、私達の体に染みついているといっていいのかもしれません。
また、四季の楽しみ方として、季節の先取りといったことがあります。季節を先んじて楽しむといったことで、季節の旬になるまでに、その雰囲気を味わうことですが、特にファッションでは、それが周りから見れば、おしゃれでかっこいい、と映ったものです。たとえば、夏の8月のお盆の時期を過ぎると、少々暑くても秋ものの渋い色の薄手のセーターを着て歩く、といったこともその一つです。しかし、最近のように酷暑と言われる夏には、このようなことは過酷以外の何ものでもないでしょう。季節を先んじることは非常に難しいことになります。
では、今まで、日本人はどのように季節の色をとらえていたのか、最も参考になる平安時代の貴族の衣裳の色についてみてみましょう。ここでは、かの有名な源氏物語から抜粋してみました。「若菜」の中に、女性達の姿が書き並べられている箇所があります。時節は、二月の二十日頃、女三宮について「桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。」とありますが、ここの桜とは、桜襲(かさね)という意味で、具体的には布地の表が白、裏が赤となっているため、光を通した際には桜色に見えます。当時は、二月の下旬となれば、すでに春、ということで桜の色を身につけるのが相当だったということがわかります。今の感覚では、まだまだ真冬という印象をうけますが、まさに季節の先取りなのでしょう。他にも、明石の上について「柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て・・・」とあります。柳も春の代名詞ですが、ここでの柳は柳襲という意味で表が白、裏が青のことを言います。
このように、襲(かさ)ねの色目によって、平安時代の色の配色感覚を見てとることができます。それは一言で言えば、季節感を色をかさねることで表していたのです。当時の貴族の人達の衣裳の袖口や褄から何色もの色が重なって見えていたのですが、それは季節の色をあらわすことまで考えて衣裳をかさねて着ていたことがわかります。当時は、この季節を演出する色感覚をもって、教養や感性が問われていたと言われています。春なのに、紅梅ではなく、冬の椿の襲ねを身に着けていたとすれば、周りからは恥ずかしいものと映ったことでしょう。
こうしてみると、当時の人達の季節に対する鋭敏な感性は相当なものだとわかります。季節を先取りし、移りゆく季節を惜しみ、そして、名残の感覚をもちつつ、無常観の世界に生きていたのだと想像できます。当時と近代社会の現在とでは、私達の色感覚も確実に変化しています。たとえば、今でも色の取り合わせによって季節感を感じさせることはありますが、たとえ春に、渋い色の秋っぽい色を着ていたとしても、何ら問題はありませんし、誰も不思議には思わないでしょう。
しかし、今でも私達は、お花見やお月見、紅葉狩りといって、それぞれの季節を楽しんでいます。そして、季節に応じた色をそれなりに演出することもあります。だからといって古の時代の襲ねの色目をそのまま取り入れることは難しいでしょう。それよりも、その手法を参考にしつつ、今の時代に応じた現代風の襲ねの色目を創造していくことを目指したいものです。光を通すことで布の表と裏、それぞれの色が混色された色があらわれる襲ねの手法は、今の光あふれる時代においては、さまざまな分野で活かすことができそうです。温故知新の精神をもって、今の暮らしに合った色の工夫で、季節の先取りを楽しんでみたいものです。
・参考文献
徳井淑子「色で読む中世ヨーロッパ」講談社(2006) |