「伝統を創る自然の素材色」
「経営労務ディレクター2017・3~4月号」より
~カラーコンサルタント 成田イクコ著〜
数年前、今井町(奈良県橿原市)を訪れた。美しい伝統的な街並みで有名である。かねてから訪れたいと思っていたところ、日本色彩学会の環境色彩研究会主催の見学会(橿原市役所の今井町並保存整備事務所の方の講演を含む)が開催され機会に恵まれた。今回は今井町の伝統的な街並みを創る色彩の姿について述べたいと思う。
始めに今井町がどのような街であるかを簡単に記述しておく。ここは中世の頃から司法や警察権も許されていた自治都市であり、海の堺、陸の今井と言われた。江戸時代は商業地区としても栄えたが(今井札という通貨も発行していた)、明治以降は商売の街の面影はなくなっていった。伝統的な美しい街並みを背景に観光に力を入れている地域も多い中、今井町には人影も少ない、お金の落とす土産物屋も食事処も殆どない。どこを歩いても甲子園3倍ほどの面積の古い街並みが延々と続く。初めて訪れる人は、まるでタイムスリップしたかのような印象をもつだろう。
このような相当古い街並みが存在するゆえに、すでに1956年には東京大学による今井住宅調査が入った。その後も多くの研究者や官僚が町並み保存のために関わってきた。重要伝統的建造物群保存地区制度(重伝建制度)が昭和50年にできたのも今井町を念頭に置いてであったほど、当時非常に古い町並みが面として残っていたのである。しかしこの町が伝建地区になったのはなんと平成5年になってからである。それまで相当な時間がかかったのも町並み保存に対する賛否両論の意見が町に渦巻いていたからである。なんといっても今井町は住民自身によって守られてきたという自負がある。また伝建地区になれば、保存するがために便利な生活ができないかもしれないといった不安もその一因にあった。
この町を歩くと、地図がなければ自分が今どこにいるかがわからなくなる。つまり外から訪れた者にとってはどの通りも同じに見えるのである。狭い道路に沿って本瓦葺や 瓦葺の甍、白の漆喰、木の格子窓が延々と続く。他の地域で観光に力を入れた古い街並みを見かけるが、その多くは古い素材に似せた塗色が施されている所が多い。今井町の家々には自然の木そのものが使われており、中にはそれが家の内部空間にも使用されているケースもある。見学した学童保育の施設や休憩した小さなカフェでは木の香りに包まれほっとした時を過ごせた。
一般的に、色と言えば素材の色そのものよりも人工的な色を思い浮かべることが多いかもしれないが、自然素材のみの使用によって良好な色彩景観が形成できることは多いのである。伝建地区だからこそできうるのかもしれない。一般的にはそうした建築工法を行えばかなりのコストがかかることは否めない。しかし全く参考にならないわけではない。人は、自然そのものの色に囲まれるとどのような感覚をもつだろうか。自然の緑の中を歩くとリラックスできる、ではその緑とマッチする色はどのような色であろうか。今井町のある家に見事な松の木があった。非常に美しい緑であり、その緑が映えるのは周囲の白の漆喰と木の茶色が存在しているからこそである。
今井町には建築物の色彩のルールは定められていない。しかし、改築や新築の際に微細に行政マンのチェックが入る。素材の選定に始まり、その色が茶色でもどのような茶色であるか、まで目を凝らさないと美しい景観は守れない。色に拘る姿勢もこの町の景観保存には欠かせないものだろう。
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